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コプリヴニツァ(Koprivnicaka)

コプリヴニツァ(Koprivnica)
ザグレブから北東に約100キロ、13世紀頃から軍事要塞として栄えた街。


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コプリプニツァ は、13世紀ごろ軍事要塞として栄えた街です。人口は3万人ほどで、中世と東ヨーロッパの雰囲気を持った街です。

PelicanPete

毎年9月に、コブリブツァ砦の跡地でルネッサンスフェスティバルというイベントをやっています。
参加者は中世の時代の衣装で砦の前の広場に中世の町を再現します。露店が出たり、剣を使った戦闘イベントがあったりします。

100905 Renesansni festival 3971(C)Goran Generalic
080906 Renesansni festival 1570(C)Goran Generalic
The Good Guy(C)HRVATSKA TURISTIČKA ZAJEDNICA
080906 Renesansni festival 1877(C)Goran Generalic
080906 Renesansni festival 2126(C)Goran Generalic
100905 Renesansni festival 3887(C)Goran Generalic
080906 Renesansni festival 1649(C)Goran Generalic
070909 Renesansni festival 066(C)Goran Generalic
080906 Renesansni festival 1512(C)Goran Generalic
100905 Renesansni festival 6424(C)Goran Generalic
100905 Renesansni festival 6405(C)Goran Generalic
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ルン(Lun)

ルン(Lun)
パグ島最北端の村、人口は300人ほど。樹齢2000年の野生のオリーブの美しい風景がある。


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ルンは、指のような形をしたパグ島の最北端にあります。文献によると、名前由来はラテン語/イタリア語の岬を表すPunta Longaプンタ・ロニから来ているとされていますが、lunga、Lunから来ているという説もあります。

SDC10991_8(C)MOSCATALIN
Olive trees of Lun (C)Secret Dalmatia
Lun(C)Naplevente
Olive trees of Lun (C)Secret Dalmatia
olives(C)kristoforina
panorama(C)kristoforina
50 alter olivenbaum lun(C)freyrstrongart
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ニン(Nin)

ニン(Nin)
ザダールの北20キロ、ラグーンに浮かぶ小さな小島は、クロアチア王国が始まった土地。


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ラグーンに浮かぶニンの街には二つの橋が架かっています。15世紀ごろまでは島をぐるりと城壁が囲んでいました。


(C)TURISTIČKA ZAJEDNICA GRADA NINA
Nin, Croatia(C)Robert Zijlstra
Nin - Dalmatia - Croatia(C)Been Around @ the Black Sea
Nin town centre(C)lloydi
Grgur, the Bishop of Nin(C)travelandtravails
Dalmacija_20070901_487(C)darkoOf
Nin - Dalmatia - Croatia(C)Been Around @ the Black Sea
Mud people(C)jns001
CROATIA(C)martozza
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イエルサ(Jelsa)

イエルサ(Jelsa)
フヴァル島の東側の港町。フヴァル島海抜160メートルにある、最も古い村(Pitve)から、ワインなどを運ぶ為に開かれた港です。


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19世紀頃までは、アドリア海の最も重要な海運、造船、貿易センターの一つとして、大型帆船がオリーブオイル、塩辛、ワインなどを運んでいました。商業を中心としてにぎやかな町です。現在は夏のリゾートの拠点として多くのイベントが行われます。


(C)HRVATSKA TURISTIČKA ZAJEDNICA

(C)HRVATSKA TURISTIČKA ZAJEDNICA
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シサク(Sisak)

シサク(Sisak)
ザグレブから南東にあり、クパ川、オドゥラ川、サヴァ川の合流点にあります。
シサクの下流、サヴァ川左河岸にロニュスコ・ポリェ自然公園が広がっています。よく保全された動植物の世界と、絵のように美しい村々が、サヴァ川に沿って続いています。


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紀元前4世紀頃、イリュリア人部族の村をケルト人が征服した事により、イリュリア人とケルト人の民族的、文化的にも混合した(Segestica)となります。
シサクを有名にしたのは、1539年シサクのキリスト教軍が始めてトルコ軍に勝利した事です。
全戦全勝で迫る、トルコ軍の初めての敗北はシサクを全ヨーロッパの注目の的にしました。


(C)HRVATSKA TURISTIČKA ZAJEDNICA
毎年九月の初め新月の時、クパ川で、「ケルト人の夜」のイベントが行われます。

(C)HRVATSKA TURISTIČKA ZAJEDNICA

シサクにとって、最も印象的な観光イベントのひとつです。いかだの上でシサクの伝説を紹介し、ドルイド僧たちと司祭たちは、川辺の見物人に奇跡の飲み物を配ります。
松明の光のもとで、謎に包まれたシサクの伝説に結びついた映像が、夜の世界に出現します。
妖精と戦士がドラムのリズムに乗って踊る姿や、古代の戦士、美しい女王、司祭と同行の迫害者、征服者の戦士などが、神秘的な儀式に携わる様子などを見ることができます。

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コパチキリット自然公園(Park prirode Kopački rit)

コパチキリット自然公園(Park prirode Kopački rit)
珍しい野生動物と湿原が広がるコパチキリット自然公園は、クロアチア東部バラニャ地方(Baranja)と呼ばれる領域に位置しています。
コパチキリット(Kopački rit)は、ヨーロッパ最大級の湿原地帯でドナウ川地域の最も肥沃な産卵地の一つとなっています。


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コツバキリット自然公園は、オシエク(Osijeka)から程近いにも拘らず動植物の自然がそのまま残されています。ヨーロッパ全土の多くの専門家や学者を魅了しています。
260種の野鳥と魚は40種、多くの哺乳動物が生息しています。コバツキリット自然公園は、穏やかな保護のもと、一部の地域では釣りを楽しむことも出来ます。1Day50kn /1Year300kn


(C)HRVATSKA TURISTIČKA ZAJEDNICA
多くの野生動物を見ることが出来ます。

(C)HRVATSKA TURISTIČKA ZAJEDNICA
Gray Heron - Kopacki Rit sc 0011r
(C)fveronesi1
...wild boar..do u see 3 or 4?!
(C)ManonManon
For Mother's day
(C)Sanuye

(C)robertisimus
Kopacki Rit
(C)Cortez_CRO

2007年「いいちこ」CMロケ地
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チゴチ村( Čigoč )

チゴチ村( Čigoč
チゴチ村は人の人口よりコウノトリが多く住んでいる珍しい村。


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チゴチ村にあるコウノトリの巣の数45、コウノトリは200羽です、村の家屋は70戸で住民は120人。人と鳥との共存関係を続けています。

Croatia: Cigoc - Park prirode storks m/v 1
(C)icitaiwan1
1994年、欧州財団は、コウノトリの最初のヨーロッパの村を宣言し、保護しています。
Le couple de cigogne
(C)photo@marc
storks 4
(C)psy_bient
Moments of Reflection
(C)Xeroxmeister
morning in Cigoc village
(C)nipitiri123
Turn of century timbered house
(C)james_littlewood
IMG_5953
(C)jabsonwheels
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ズーチェビーチ( Zrće Beach)

ズーチェビーチ( Zrće Beach )
パグ島中部の街、ノバリア( Novalja )の東側のビーチ、深い入り江に囲まれた穏やかな内海。夏のシーズンは24時間ノンストップで営業するクラブがあり、アドリア海で最もエキサイティングなパーティービーチのひとつ。


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Gipso

ノバリアを拠点とするビーチは大小合わせて14箇所あり、夏のバカンスを楽しむ人々がヨーロッパー各地から訪れる。


(C)Renco Kosinožić

ヨーロッパの有名DJが多数訪れ、パフォーマンスする事でも有名。


AQUARIUS ZRCE http://www.aquarius.hr/zrce/en/
Zrce
(C)Acido Lisergico
Spiaggia di Caska
(C)ManonManon
Party beach Zrce
(C)watershi
24.07.2009. - After Beach @ Papaya (Novalja, Zrce)
(C)klubskascena.com
DSCN6723
(C)vodka356
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ブロード・ナ・クピ( Brod na Kupi )

ブロード・ナ・クピ( Brod na Kupi )
16世紀から続く国境線の村。今では、アウトドアスポーツと渓流釣りを楽しむ人気フィールド。


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ブロード・ナ・クピ( Brod na Kupi )は、スロベニアとクロアチアの国境線を走るクーパ川のほとりにある村。16世紀からスロベニアに続く街道があり、昔は要塞として、今は小さな国境検問所があります。

rafting na Kupi
(C)pustolovine
クーパ川の渓流では、カヤック、カヌーやラフティングの魅力を存分に楽しめる、スポーツ天国です。
Košara - Brod na Kupi
(C)by Dzovana
Belca pogled niz potok
(C)pustolovine
Time for Change
(C)roksoslav
River Kupica
(C)carpercro
KUPICA
(C)redheadtekut
(C)HRVATSKA TURISTIČKA ZAJEDNICA
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ラストヴォ(Lastovo)

ラストヴォ(Lastovo)
ドブロブニクの沖合いに浮かぶ星と煙突の島。美しすぎる夜空と海、死んでからでも一度は行って見たい島。


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ラストヴォ島は、ラデスタまたはラデストンとして6世紀に歴史の記録に最初に登場しました。戦略的に重要な位置にあるため、第二次世界大戦後は旧ユーゴスラビアによって「軍用の島」として利用され、1988年までは外国人は立ち入り禁止区域でした。
そして、2006年にようやくラストヴォの風景や文化や生態系を保護するために、自然公園の指定を受けました。島には多くの美しい湾と人気の観光スポットがあります。ザクロパティツァ、パサドゥル、北海岸のスクリヴェナ・ルカ、南海岸のウビリ、ルチツァなどが有名です。

Lastovo island
(C)Aleksandar Angelov1
南クロアチアのラストヴォ島は透明な海に囲まれ、その自然とフマリ( Fumar )と呼ばれるユニークな煙突で有名です。
この島は本土から離れているため、明るい夜の街灯りに邪魔されることなく、素晴らしい夜空の景色を体験できます。星の瞬く夜空は息を呑むほど美しく、「ラストヴォは夜空を観察するのにヨーロッパで最適な場所」と言われています。
ラストヴォの石造りの家には、煙突フマリ( Fumar )があります。なぜラストヴォの住人が何世紀にも渡り屋根に様々な煙突を立てるのかは判りません。煙突は何世紀もの歴史があり、現代にまで受け継がれています。
Lastovo
(C)joao ornelas
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(C)stashatomic
Struga Lighthouse, Lastovo island, Croatia
(C)Load.Error
Our boat's waiting for us
(C)joao ornelas
Poklad (The Carnival) in Lastovo, Feb 2009
(C)Load.Error
Lastovo
(C)Echo_29
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ペトリニャ(Petrinja)

ペトリニャ (Petrinja)
ラテン語で石を意味する名前の街。1991年〜1995年クロアチア戦争でセルビアの占領下に置かれました。


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ペトリニャ市内は、16年を経た今でも所々に戦争の傷跡を残しています。約5年間セルビアの占領下に置かれ、クロアチア人の多数は街を出て行く事になりました。戦争が終わった後、故郷ペトリニャに戻る人は少なく街の人口戦前に比べ6割程になっています。

prozor/ window
(C)Aleksandar Angelov1
中世から続ペトリニャの街は、クパ川にペトリニチツァ川が合流する場所にあり、美しい景観に囲まれた静かな街。
Petrinjcica River & Bridge - Petrinja
(C)seanfderry-studenna
Sveti Lovro - St. Lawrence Day celebrations in Petrinja Croatia - Aug 10th 2009
(C)seanfderry-studenna
Big Gun at Army Base in Petrinja
(C)seanfderry-studenna
Petrinja Mass Grave from recent war at Serb Orthodox Church
(C)seanfderry-studenna
P5121023
(C)ivostrbac
Petrinja signs of the war
(C)seanfderry-studenna
P5241725
(C)ivostrbac
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クティエボ(Kutjevo)

クティエボ(Kutjevo)
女帝マリア・テレジアが通ったヨーロッパ最古のワイナリーの街。


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クティエボ(Kutjevo)はワインの首都と言われるほど、中欧の人々にとっては、避ける事の出来ないまさにワインの聖地です。
1232年修道僧によって建てられたワイナリーは800年の歴史を持ちヨーロッパ最古と言われています。1536年、クティエボ(Kutjevo)はトルコの支配を受ける事になりますが、1968年、神聖ローマ皇帝レオポルト一世が奪還し、イエズス会に贈ります。以来、イエズス会がクティエボ(Kutjevo)を守って行くことになります。
街は南斜面のなだらかな丘陵地帯に広がり、葡萄栽培に最適な土地です。 ハプスブルク家 の力を一身に集めた 女帝(神聖ローマ女帝)そして、マリー・アントワネットの母、 マリア・テレジア(Maria Theresia von Österreich)が、こよなく愛したワイナリーとしても有名です。

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DSC_0677(C)dclarson
12. Kutjevo, Dakovacka wineyard © Antonietta Salvatore (10)(C)www.ilreporter.com
14. Kutjevo, Dakovacka wineyard © Antonietta Salvatore (5)(C)www.ilreporter.com
9. Baranja wineyard © Antonietta Salvatore (44)(C)www.ilreporter.com
6. Baranja wineyard © Antonietta Salvatore (15)(C)www.ilreporter.com
21. Velika © Antonietta Salvatore (7)(C)www.ilreporter.com
19. Kutjevo, Dakovacka wineyard © Antonietta Salvatore (34)(C)www.ilreporter.com
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マリア・ビストリツァ(Marija Bistrica)

マリア・ビストリツァ(Marija Bistrica)
クロアチアの首都ザグレブから北に40キロ程のなだらかな丘陵地に、マリア・ビストリツァ(Marija Bistrica)教会を中心とした小さな町。教会はには毎年80万人の巡礼者が訪れる、クロアチア最大のマリア信仰の巡礼地。


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ビストリツァという地名は3世紀から記録に存在し、1334年の記録には、ビストリツァにあった聖ペテロ、パウロ教会に関する最初の記述があります。信仰の対象となっている黒い聖母像( Black Madonna )は後期ゴシック様式の像であり、作者は不明です。
黒い聖母像( Black Madonna )は最初からビストリツァの教会に安置されていたわけではなく、1499年にヴィンスキ・ヴルフ(Vinski Vrh)という古い聖堂にまず安置された後に、1545年にオスマントルコの攻撃を避けるため土中に埋められました。その後、マリア像の存在は忘れられていたが、1588年に再発見された。この際埋められた場所から光が差し、マリア像が起き上がったという奇跡が伝えられている。また、1650年にふたたび隠されたが、1685年におなじく奇跡によって再発見された。 1710年にはクロアチア議会によってこの聖母マリアのための新しい祭壇の建設が決められ、15年に完成した。
現在のマリア・ビストリツァ(Marija Bistrica)教会は1879年から1882年にかけて建設されたもので、建設中に火事があり、この火事によって教会内はほとんど焼け落ちたにもかかわらず、マリア像と祭壇は無傷であった、という奇跡も伝えられている。 1923年には教皇ピウス11世(PiusXI)によって祭式の特権を持つバシリカ聖堂の称号が教会に付与され、当時のザグレブ大司教であったバウエル(Ante Bauer)によってマリア像に金色の王冠が載せられ、大司教によってこの像は「聖母マリア、クロアチアの女王」であると宣言されました。

現在は、国内はもとより世界中から、年間80万人の巡礼者が訪れるヨーロッパでも有数の巡礼地となっています。教会の周りは巡礼者のための宿が多く並び、巡礼者を中心として発展しました。最近では、近代的なレストランやホテルなどが建ち、憧れの結婚式の教会となっています。

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Marija Bistrica 015(C)korom
Marija Bistrica 016(C)korom

奇跡を起こすと言われる、黒い聖母像(Black Madonna)。ブラック・マドンナと言われる聖母像は、世界に180体程度確認されており、カトリックの地域に多く存在します。クロアチアには、Marija Bistrica以外に、スロベニア国境の Donji Kraljevec に存在します。世界的にはフランスで最も多く存在が確認されています。黒い聖母は、時間の経過とともに煤などで汚れて黒くなったものされる意見が多数を占めていましたが、意図的に黒く作られた聖母像(意図的な聖母像だけをBlack Madonnaと呼んでいます)もあり、20世紀後半になって研究されるようになって来ましたが、現在も謎となっています。諸説の一例として、黒いマリア像が誕生した原因として、受胎告知による神秘性を黒という色で表したとする説や、聖書の「雅歌」にある「わたしは黒いけれども愛らしい」という表現がマリアと結び付けられたという説があります(バルネイ 2004:57)。

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Marija Bistrica 026(C)korom
Marija Bistrica 050(C)korom
Marija Bistrica 054(C)korom
Marija Bistrica 072(C)korom
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Samobor(C)leicaroo

教会の周りでは、何世紀の前から訪れる巡礼者に向けてジンジャーブレッドが売られています。小麦粉で作られた固いクッキーを蜜蝋でコーティングした物で、ハートの形が代表的な物です。奇跡を起こすマリアにちなんで、何時の頃からか愛する人に、このハートを送る習慣が生まれたようです。ハートに鏡が貼ってある物は、「私のハートには君だけが映ってる」という意味だそうです。

ママリア・ビストリツァ教会での結婚式。
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ヴコヴァル(Vukovar)

ヴコヴァル(Vukovar)
スラボニアの東部、ドナウ川とヴゥカ川の合流地点にあり、河港として栄えていた。
1991年8月25日から11月18日間での87日間の激しい戦火により、街はほぼ壊滅状態となり、セルビアの占領下におかれる。1000人を超える人々が犠牲になりヨーロッパでは第二次世界大戦いら最悪の状態となった。無数の弾丸を受けた貯水塔は1991年の出来事を忘れないため、都市計画により保存されている。


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Vukovar(C)Klinne
Post-war  Vukovar, Croatia(C)Kotemendo
Vukovar Monastery(C)Matt Bigwood

ヴコヴァルは旧ユーゴスラビアの戦争では、ボスニアのサラエボと並ぶ最悪の激戦地となってしまった。クロアチア共和国の東端に位置しドナウ川を挟んで対岸はセルビア共和国となっている。ヴコヴァルは14世紀から、ハンガリー領に属し、欧州において水運の要所として栄えてきた中世の都市。ヴコヴァルとは、「狼」に由来するスラブ人集落をハンガリー語で呼んだもの。1500年代にオスマン帝国が占領し、160年後にハンガリーが奪還する。長い間、奪い奪われてきた歴史を持っています。

Vukovar(C)Kotemendo
Remembering Vukovar 1991(C)Ivan Klindić

11月18日は、慰霊祭が行われる。

Vukovar(C)Eurotrash
Vukovar 2(C)LBpics
War Cemetary near Vukovar(C)Kiritan Flux
「ブコバルに手紙は届かない」のラストシーン
vukovarlarnhof.christoph
ブコバルに手紙は届かない

1991年11月18日、徹底的に破壊され廃墟となったヴコヴァルは、 「平和的再統合」 により1998年再びクロアチアの領土となる。再建は始まっているが、すさまじい破壊の跡はサラエボなどと並んで、民族主義の恐ろしさ、人間の愚かさを象徴する「二〇世紀末のモニュメント」である。

Vukovar Poste Restante

作品データ

原題 Vukovar poste restante

製作年 1994年

製作国 フランス イタリア ユーゴスラビア

配給 シネマテン配給(イメージファクトリー・アイエム=シネマテン提供)

上映時間 96分

・紛争の発火点となったブコバルで、(ミリヤーナ・ヨコヴィッチ)とセルビア人のトーマ(ボリス・イサコヴィッチ)は結婚してすぐ内戦に巻き込まれる。
トーマはユーゴスラヴィア連邦軍に応召される。残されたアナは実家に身を寄せるがセルビア人と結婚したアナは裏切り者とされる。戦争が激化していく中で二人は連絡が取れなくなり次第に引き裂かれていく。

1995年 ポルトガル国際映画祭 銀のドルフィン賞、審査員特別賞

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